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大阪地方裁判所 昭和50年(ワ)4749号 判決 1978年5月02日

原告

前田博子

被告

木戸義元

ほか二名

主文

一  被告木戸義元、同木戸千栄子、同今村延夫は、各自原告に対し、金一一一二万六二四二円(ただし、被告今村延夫は一〇七二万六二四二円)およびうち金一〇六二万六二四二円(ただし、被告今村延夫は一〇二二万六二四二円)に対する昭和四七年一〇月一〇日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告の被告らに対するその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを六分し、その五を原告の、その余を被告らの各負担とする。

四  この判決は、原告勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、各自、原告に対し、金六一三八万八八六七円およびうち金五八三八万八八六七円に対する昭和四七年一〇月一〇日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は、被告らの負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する被告らの答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は、原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

(一) 日時 昭和四七年一〇月九日午前三時三〇分ごろ

(二) 場所 大阪市港区波除五丁目一一番阪神高速道路(安治川入口)上

(三) 加害車 (1) 被告木戸千栄子(以下被告千栄子という。)運転の普通乗用自動車(泉五五ふ八六六〇号。以下甲車という。)

(2) 被告今村延夫(以下被告今村という。)運転の普通乗用自動車(泉五五に五四―二八号。以下乙車という。)

(四) 被害者 原告(昭和二三年一〇月八日生。乙車に同乗していた。)

(五) 態様 一時停止した乙車に、甲車が追突した。

2  責任原因

(一) 運行供用者責任(自賠法三条)

被告木戸義元(以下義元という。)は、甲車を所有し、自己のため運行の用に供していた。

(二) 不法行為責任(民法七〇九条)

(1) 被告千栄子は、本件道路を乙車に追従して進行中、指定最高速度(時速六〇キロメートル)を遵守し、先行車である乙車の動静を注視するとともに、乙車が停止した場合には、ブレーキを適確に操作して、その後方に停止すべきであつたにもかかわらずこれを怠り、漫然前記最高速度を超える時速約七〇キロメートルで進行し、乙車が前方に停止したのに気づくのが遅れ、かつブレーキを適確に操作しなかつた過失により、乙車に追突して本件事故を発生させた。

(2) 被告今村は、自動車専用道路である阪神高速道路において、法定の除外事由がなければ駐停車してはならないにもかかわらずこれを怠り、漫然後続する甲車の進路上に乙車を停止させた過失により、甲車を乙車に追突させて本件事故を発生させた。

3  損害

(一) 受傷、治療経過等

(1) 受傷

頸部・腰部捻挫、顔面打撲傷・右膝・右肘・胸部打撲傷、上顎左側第二小臼歯・下顎左側第二小臼歯脱落、上顎左側第一小臼歯第一大臼歯破折、下顎左側第一小臼歯・第一大臼歯破折、上顎右側中切歯破折

(2) 治療経過

(入院)

昭和四七年一〇月一四日から昭和四八年四月二八日まで鳥潟病院

同月二九日から同年一一月一八日まで浜坂七釜温泉病院

(通院)

昭和四七年一〇月九日小川病院、森本病院

同年一〇月一一日から同月一三日までおよび昭和四八年一一月二四日から昭和五二年五月二〇日まで鳥潟病院

昭和四七年一〇月一三日横出医院

昭和四八年一一月二八日から昭和五〇年七月三一日まで柔道整復師林利彦(以下柔道整復師という。)

昭和四九年三月三〇日から同年一二月二四日まで樋口歯科医院

昭和五〇年一月一四日から同年八月二九日まで川崎歯科医院

同月一二日および昭和五二年五月二三日水野医院

昭和五〇年八月一二日から昭和五一年一一月一五日まで宝珠堂整骨院

(3) 後遺症

自賠法施行令後遺障害別等級表九級に該当する自律神経失調症(頭痛、悪心、眩暈、腰痛、上下肢のしびれ・痛み、脳波異常等)ならびに歯列・歯牙不正による阻しやくおよび言語機能障害等の後遺障害が残存し、右症状は昭和五〇年八月二九日固定した。

(二) 治療関係費

(1) 治療費

(イ) 鳥潟病院分 一一八万三九〇〇円(ただし、昭和四八年一一月二四日から昭和五二年五月二〇日までに要した治療費のうち、被告義元において支払つた一万六五四〇円を差し引いた残額)

(ロ) 横出医院分 一八〇〇円

(ハ) 樋口歯科医院分 二万三八〇〇円

(ニ) 川崎歯科医院分 九〇万一五〇〇円

(ホ) 水野医院分 三六六〇円

(ヘ) 柔道整復師分 一一六万八〇〇〇円

(ト) 宝珠堂整骨院分 一〇万四五〇〇円

(2) 入院雑費 一二万〇三〇〇円

入院中一日三〇〇円の割合による四〇一日分

(3) 入院付添費 二万五五二〇円

昭和四八年二月二一日から同月二八日までの八日間、付添の看護婦に対し、二万五五二〇円を支払つた。

(4) 交通費

(イ) 浜坂七釜温泉病院入退院分 一万五四四〇円

(ロ) 鳥潟病院通院分 三〇万一一九〇円

(ハ) 樋口歯科医院通院分 四万四一四〇円

(ニ) 川崎歯科医院通院分 一二万二九一〇円

(5) 将来の架工義歯治療費

原告は、本件事故のため歯牙八本を損傷し、架工義歯治療費として昭和五〇年四月九日現在九〇万円を要したが、架工義歯の耐用年数は五年間であり、耐用年数経過後更に同額以上の架工義歯治療費を要するので、原告が七〇歳に達するまで、少くとも九〇万円の架工義歯治療費を九回必要とすることになり、年別ホフマン式計算法(単式)により年五分の割合による中間利息を控除して将来の架工義歯治療費を算定すると三九四万八二一〇円となる。

九〇万×(〇・八+〇・六六六六+〇・五七一四+〇・五+〇・四四四四+〇・四+〇・三六三六+〇・三三三三+〇・三〇七六)=三九四万八二一〇

(三) 逸失利益

(1) 休業損害

原告は、本件事故当時二四歳で、由雅フアツシヨンマネキン紹介所に所属し、その紹介を受けるほか、各種業者から直接依頼を受けて、フアツシヨンモデルとして稼働し、一ケ月当り平均五二万五七九三円の収入を得ていたが、本件事故により、昭和四七年一〇月九日から昭和五〇年八月三一日まで休業を余儀なくされ、その間一八二六万七〇六六円の収入を失つた。

五二万五七九三×(二三÷三一+三四)=一八二六万七〇六六

(2) 後遺障害による逸失利益

原告は、前記後遺障害のため、その労働能力を三五パーセント喪失したものであるところ、原告のフアツシヨンモデルとしての就労可能年数は、昭和五〇年九月一日から九年間と考えられるから、原告の将来の逸失利益は年別のホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると一六〇七万二六七一円となる。

五二万五七九三×一二×〇・三五×七・二七八二=一六〇七万二六七一

(四) 慰藉料 二〇〇〇万円

原告が、本件事故により被つた肉体的、精神的苦痛は、以下に詳述するとおり甚大なものがあり、これを慰藉すべき額は二〇〇〇万円を下らない。

(1) 原告は、女性として一生涯を左右する最も大切な結婚適齢期に、本件事故により受傷し、このため婚約は破談となり(昭和四六年一二月に婚約し、昭和四七年一二月に結婚する予定であつた。)、しかも、前記後遺症が残存し、人並の結婚もできない状況である。

(2) 原告は、いまだ日夜右後遺症に苦しめられ、現在もなお鳥潟病院、宝珠堂整骨院および川崎歯科医院で通院治療中であるうえ、顔面打撲による眼の損傷も悪化してきており、将来の治療費、通院に要する費用等は、これをはかり知ることはできない。

(3) 原告は、本件事故当時、フアツシヨンモデルとして、舞台にテレビに出演して人気をはくし、勧誘されて俳優になる決意を固めていたが、本件事故による受傷のため、その望みを絶たれてしまつた。

(4) フアツシヨンモデルは、季節の異る商品を着て、その商品の価値を推奨する職業であり、たとえば酷暑に冬物の衣裳を、寒中に水着等夏物の衣裳を着装して、曲線的で健康な容姿でこれを表現し、人をして魅惑、観賞させることを要求されるため、繊細な神経と健康、体力を必要とするところ、原告は、前記後遺症のため、症状固定後現在に至るまで、フアツシヨンモデルとして稼働することは不可能であつたうえ、将来においても再起できるかどうかすら予測できず、今後ともかなりの期間休業を余儀なくされる状態にある。

(5) フアツシヨンモデルとしての最低限年齢とみなされる三五歳以降の将来の収入額が確定できないため、右年齢以降の原告の逸失利益を算出できない。

(6) 被告らは、退院後の生活費はもちろん、治療費の支払をも拒絶し、被告義元、同千栄子においては、見舞いにも来ないばかりか、原告の日常生活を調査し、あるいは原告に対し債務不存在確認訴訟を提起するなどして、加害者としての信義および義務に著しく違背している。

(五) 弁護士費用 三〇〇万円

4  損害の填補

原告は、被告義元、同千栄子から、休業損害の内金として二三九万円、治療費の内金として一五〇万円合計三八九万円の支払を受けた。

5  結論

原告は、右損害金合計六五三〇万四六〇七円から右受領分三八九万円を差し引いた残金の内金六一三八万八八六七円を請求することとする。

よつて、原告は、請求の趣旨記載のとおりの判決(遅延損害金は、不法行為の日の翌日から民法所定の年五分の割合による。ただし、弁護士費用に対する分は請求しない。)を求める。

二  請求原因に対する被告らの答弁

1  被告義元、同千栄子

(一) 請求原因1の事実は認める。

(二) 同2(一)の事実は認める。

(三) 同2(二)(1)のうち、被告千栄子が時速約七〇キロメートルで進行していたことは認め、その余の事実は否認する。本件事故は、被告今村の重大な過失および阪神高速道路公団の道路管理の不手際によつて発生したものであり、被告千栄子にはなんらの過失がない。

(1) 被告今村は、乙車を運転し、本件事故現場に通じる国道四三号線を数キロメートルにわたつて、甲車を時速一〇〇キロメートルを超える高速度で追い越したり、からかつたりしながら、後になり先になりして本件事故現場付近にさしかかり、安治川大橋を越えて阪神高速道路に入ろうとしたところ、前方自車線(走行車線)上に看板を発見したが、高速度で進行していたため、後方追越車線上を甲車が進行して来ていたにもかかわらず、同車の動行に全く顧慮することなく、その進路である追越車線に車線変更したうえ(道交法二六条の二第二項参照)、前方になんら妨害物がなかつたにもかかわらず、高速道路上に急停止した(道交法七五条の八参照)過失により、乙車に甲車を追突させた。

(2) 安治川大橋を越えた阪神高速道路入口付近の走行車線上に、阪神高速道路公団の自動車が停止しており、その手前に前記着板が立てられていたところ、同公団は係員の誘導あるいは灯火設備の設置等を全くなしておらず、被告今村は、右看板を不意に発見し、急きよ車線変更せざるをえなかつたのであり、同公団の道路管理に不手際があつた。

(3) 被告千栄子は、本件事故当時、時速約七〇キロメートルで追越車線を進行していたが、自動車(甲車)の前方でその進路である追越車線に車線変更した乙車が、急停止することをあらかじめ予想することは不可能であり、約四一・七メートル前方で乙車が急停止するのを発見するや、直ちに急ブレーキをかけるも間に合わず、乙に追突したものであつて、被告千栄子になんら過失はない。なお、時速約七〇キロメートルで走行中の車の制動停止距離(空走距離+制動距離)は、反応時間(空走時間を一秒として、約六八・四メートルである(一九・四四+七〇×七〇÷一〇〇=六八・四四)。

(四) 同3の事実は否認する。

(五) 同4の事実は認める。

2  被告今村

(一) 請求原因1の事実は認める。ただし、本件事故現場は阪神高速道路の中ではない。

(二) 同2(二)2の事実は否認する。本件事故は、被告千栄子の一方的過失により発生したものであり、被告今村になんら過失がない。

(1) 被告今村は、本件事故当時、二四歳の会社員で、昭和四一年一月二九日に普通免許を取得して以来、毎日通勤のため車を運転し、この間道交法違反歴が一回(一一キロメートルオーバーの速度違反)しかなく、しかもJAF(日本自動車連盟)の国内A級ライセンスの保持者であつて、一般運転者に比較し、マナーおよび技両共に優れた運転者であつた。被告今村、同千栄子は、それぞれ乙車、甲車を運転して、本件事故現場に通じる国道四三号線を走行していたものであるが、深夜のことでもあり、交通量は極めて少なかつた。被告今村は、本件事故現場に至る以前から、急激な発進、スピードの出し過ぎ等甲車の運転者である被告千栄子の運転の仕方全体に危険を感じ、信号待ちのため並んで停止した際(乙車左、甲車右)、車内より注意を喚起したほどであつたが(からかつたりしたことはない。)、なおも甲車の運転状況に変化がなく、同車の後方を走行することは危険であると判断し、出来島大橋の手前で乙車を追い抜き、伝法大橋の手前から右端車線(追越車線)に車線変更して、そのまま本件事故現場付近にさしかかつたのであり(したがつて、事故現場直前で車線変更したことはない。)、車線変更後は、後続の甲車を認めることができないほど車間を離していた。

(2) 被告今村は、前方の阪神高速道路入口二車線のうち左側車線(走行車線)上に工事中の横看板が設置されており(看板に灯はついていなかつた。)、かつその場にランプを持つた係員が一人佇立しているのを発見したところ、右係員からなんらの誘導も注意喚起もなかつたため、通行止かどうかを右係員に尋ねたうえ、通行止の場合には高速道路入口のところから別れて弁天町方面に通じる国道四三号線に進路を変更する処置をとるべく、右看板を越えたところで一時停止した。

(3) 以上のとおりであつて、被告今村が後続の甲車の動行を無視して、前記看板発見後に急きよ車線変更したという事実はなく(かりに右のごとき車線変更がなされたとしても、甲車に危険を招来させるような点はなく、乙車の車線変更自体にはなんら過失がない。)、一時停止の措置についても、右のとおり工事中のため通行止かどうか判然としない状況下において、そのまま進行すればいかなる危険に遭遇するやも知れず、不明確な道路管理処置に対処するものとして当然の措置であつたうえ、乙車の後方には追突の危険が予想される後続車は発見されず、また急停止でもなかつたから、被告今村には、本件事故につながるなんらの過失も存しなかつた。

(4) 被告千栄子は、甲車を運転して、乙車の後方を進行していたのであるから、自車の速度に応じ適切な車間距離を保持し、前方を充分注視して進行すべきであつたにもかかわらずこれを怠り、時速一〇〇キロメートルを超える高速度で漫然進行した過失により、前方に乙車が停止したのを発見した時点で急ブレーキをかけるも間に合わず、甲車を乙車に追突させた。なお、被告千栄子は、本件事故当時、運軽免許取得後約三ケ月しか経過しておらず、運転未熟な初心者であつた。

(三) 同3の事実は不知。

(四) 同4の事実は認める。

三  被告らの主張

1  被告義元(免責)

前記のとおり、本件事故は、被告今村の重大な過失および阪神高速道路公団の道路管理の不手際によつて発生したものであり、被告千栄子にはなんら過失がなく、かつ甲車には構造上の欠陥または機能の障害がなかつたから、被告義元には本件事故による損害賠償責任がない。

2  被告今村(無償同乗等による減額)

かりに被告今村に損害賠償責任があるとしても、本件事故は、原告、被告今村および訴外金住浩一(以下金住という。)の共同企画による六甲山へのジヤコビ二彗星見物からの帰途に発生したもので、原告は、被告今村と共同の運行供用者として乙車の運行支配および利益を有していたというべきであり、あるいは深夜のドライブの危険をも自ら負担していたいわゆる無償同乗者であつたということができるから、公平の見地から、損害賠償額の算定にあたり、総額に対する相当率の減額がなされるべきである。

3  被告ら全員(損害の填補)

本件交通事故による損害については、原告が自認している分以外に、次のとおり、被告義元、同千栄子から原告に対し支払がなされている。

(一) 治療費 三〇二万九三四〇円

(1) 小川病院分 五八八〇円

(2) 森本病院分 一万五八二〇円

(3) 浜坂七釜温泉病院分 一一二万七七六〇円

(4) 鳥潟病院分

昭和四七年一〇月一一日から昭和四八年四月二八日までの分一八五万二八四〇円

同年一一月一八日から同月三一日までの分一万六五四〇円

(5) コルセツト代 一万〇五〇〇円

(二) 入院付添費

(1) 昭和四七年一〇月二〇日から昭和四八年二月二〇日までの分三八万二〇〇〇円

(2) 付添夜具料 一万二四〇〇円

(三) 雑費 一万七五四〇円

(四) 休業損害 一〇万円

四  被告らの主張に対する原告の答弁

1  主張1、2はいずれも争う。

2  同3(一)ないし(三)のとおり、合計三四四万一二八〇円の支払を受けたことは認めるが、原告は、右金員を本訴において損害賠償として請求していないから、損益相殺の対象にならない。同3(四)は否認する。原告が休業損害として受領した金額は、前記一4のとおり、二三九万円だけである。

第三証拠〔略〕

理由

第一事故の発生

請求原因一1の事実は、当事者間に争いがない。そして、原告と被告義元、同千栄子間においては、成立に争いがなく、原告と被告今村間においてはその方式、趣旨により真正な公文書と推定すべき乙第六号証の一(取下事件の甲第七七号証に同じ。以下括弧内の書証の表示は、他の説明がない限り同様とする。)、同号証の三ないし六(甲第七九ないし第八二号証)、同号証の二(甲第七八号証)の一部、同号証の七(甲第八三号証)の一部、原告と被告義元、同千栄子間においては撮影者が訴外岡田忠典、撮影場所が本件事故現場付近、撮影年月日が昭和五一年三月一四日であることに争いがなく、原告と被告今村間においては右の点が弁論の全趣旨により認められる検乙第一号証の一、二、証人三宅秀美の証言の一部、証人金住浩一の証言、被告千栄子本人尋問の結果の一部、原告(第一回)、被告今村各本人尋問の結果および弁論の全趣旨によれば、その余の具体的事故態様等の事情として、次の事実が認められる。

一  本件事故現場は、阪神高速道路西大阪線北詰の通称安治川出入口付近で、同線は、同出入口付近において、中央ガードレールをはさんで片側二車線のアスフアルト舗装道路になつており(南行二車線の合計幅員は約六・五メートル)、両側にコンクリート側壁が設けられている。右安治川出入口は、北西から南東にのびる国道四三号線との合流または分岐点となつており、右出入口の北方は、中央ガードレールをはさんで片側四車線のほぼ平たんなアスフアルト舗装道路であつて、国道四三号線を神戸方面から南進して来ると、南行四車線のうち東側二車線は、そのまま国道四三号線として弁天町の方へ通じ、西側二車線が、安治川入口で右西大阪線へと連結し、さらに同高速道路堺線へと続いている。安治川入口には、ゲートが設置されて阪神高速道路の入口である旨表示され、本件事故現場付近道路は、直線で見通しがよく、最高制限速度は時速六〇キロメートルと指定されていた。

二  本件事故当時、現場付近の交通量は、深夜のことでもあり少なく、道路は乾燥しており、右安治川入口ゲートの真下あたり、南行走行車線(東側車線)上に、同車線を塞ぐ形で「工事中通行止」と表示された看板が立てられ、そのそばに作業員が一人懐中電灯を持つて佇立し、右看板のすぐ南側に阪神高速道路公団の車が停止していたが、追越車線(西側車線)上には、なんら障害物はなかつた。

三  被告千栄子、同今村は、それぞれ甲車、乙車を運転して、六甲山からの帰途、阪神高速道路西大阪線に通じる国道四三号線をほぼ並行して南進し、交差点で信号待ちのため停車した際一緒になることも何度かあつたが、被告今村は、出来島大橋を越え、伝法大橋に至る途中の交差点(前記安治川入口の北方約三・五キロメートルの地点)で、信号待ちのため甲車の左(東)側に並んで停止し、発進後甲車の運転状況から同車に追従することは危険であると判断し、時速七〇ないし一〇〇キロメートルの速度で同車に先行したうえ、伝法大橋の手前で追越車線に車線変更し、伝法大橋(片側二車線)を通過して、右速度のまま本件事故現場付近にさしかかつたところ(前記一のとおり片側四車線となつている。)、前方おおよそ七〇メートルの地点に前記看板を発見し、バツクミラーで一応後方車の有無を確めた(この点については更に後述)うえ、直ちにエンジンブレーキとフツトブレーキを併用して停止措置を講じ(フツトブレーキは若干強かつたが、いわゆる急ブレーキではなかつた。)、同看板をわずかに越えて停止したが、その位置は、安治川入口から約一メートル(乙車の後部バンパーまでの距離)南方の高速道路内西側車線上であつた。被告今村は、看板には前記のとおり「工事中通行止」とだけ表示されてあつたが堺方面行は二車線とも全面通行できないものと考え、弁天町の方へ通じている国道四三号線をそのまま南進すべくチエンジレバーをニユートラルに入れて、後退しようとバツクミラーを見たところ、はじめて甲車を発見し、その直後に同車に追突され、乙車は約一〇メートル押し出されて、南行車線側のコンクリート側壁に衝突し、右衝撃でさらに数メートル飛ばされ、前部を北方へ向けて、走行車線(東側車線)上に斜めに停車した。なお、乙車のテールランプおよびブレーキランプは正常に作動していた。

四  被告千栄子は、前記交差点を発進後、乙車の後方から、時速七〇ないし一〇〇キロメートルの速度で本件事故現場付近にさしかかり、片側四車線の最西側車線上を走行中、前方安治川入口の阪神高速道路西側車線(被告千栄子の進路と同一車線)上に停止している乙車のテールランプを発見し、急制動の措置を取るも間に合わず、自車を乙車に追突させ(被告千栄子は追突の衝撃でブレーキペダルから足が離れた。)、約一〇数メートル進行して、乙車とほぼ並ぶ形で西側車線上に停止した。

五  被告今村は、昭和四一年一一月二九日ごろに運転免許を取得し、現在JAF(日本自動車連盟)のA級ライセンスを有する経験豊富な運転者であり、被告千栄子は、昭和四七年四月二〇日ごろに運転免許を取得したばかりであり、甲車には初心者マークがつけられていた。

以上の事実が認められ、乙第六号証の二(甲第七八号証)、同号証の七(甲第八三号証)、証人三宅秀美の証言および被告千栄子本人尋問の結果中右認定に沿わない部分は、前掲各証拠に照らし採用し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

なお、被告義元、同千栄子は、乙車が前記安治川入口手前で急きよ追越車線(南行四車線中最西側の車線)に車線変更した旨主張しているところ、以下特に右主張を採用しないで前記のとおり認定した理由について若干の説明を加えておくと、乙第六号証の二(甲第七八号証。昭和四七年一〇月二四日作成の実況見分調書)の交通事故現場の概況(三)現場見取図(以下見取図という。)に記載された被告千栄子の指示説明部分、乙第六号証の七、および被告千栄子本人尋問の結果中には、被告千栄子が乙車の追越車線への車線変更を発見したのは、追突地点から約一〇三・二メートル北方の見取図<1>地点(以下数字または文字のみで表示する。)で、その時の乙車の位置は、<1>地点の約七五メートル前方<イ>地点であり、その後甲車が約六一・五メートル進行して<2>地点に至つた時、被告千栄子は、<2>地点の前方約四一・七メートルの<ロ>地点(追突地点)に乙車が停止するのを発見し、直ちにブレーキをかけたが、<ロ>地点の乙車に追突した旨の供述記載あるいは供述部分が、証人三宅秀美の証言中にも右に符合する供述部分がそれぞれ存し、これらは、被告義元、同千栄子の前記主張に合致する。しかしながら、右供述記載および供述部分によれば、乙車は車線変更を開始してから約二七・二メートル(<イ>地点から<ロ>地点までの距離)で停止したことになるところ(追突地点である<ロ>地点は、前掲乙第六号証の一記載の甲車のスリツプ痕の状況とほぼ合致する。)、かりに前記認定のとおり、乙車が本件事故現場付近を時速七〇ないし一〇〇キロメートルの速度で走行していたものとすると、被告今村本人尋問の結果および経験則によれば、わずか二七・二メートルの距離では、たとえ急制動の措置を取つたとしても、乙車が<ロ>地点に停止することは困難もしくは不可能であり、かりに停止できたとしても路上にスリツプ痕を残すことは確実であるというべきであるが、前掲乙第六号証の一(甲第七七号証。昭和四七年一〇月九日作成の実況見分調書)、証人三宅秀美の証言および被告今村本人尋問の結果によれば、<イ>地点から<ロ>地点までの間に、乙車のスリツプ痕が残されていなかつたことが認められるから、前記供述記載および供述部分に基づく乙車の車線変更の状況は著しい矛盾を含んだものとならざるをえない。もつとも、かりに<イ>地点における乙車の速度が少くとも時速四〇キロメートル以下であれば、経験則上二七・二メートルの距離でスリツプ痕を残すことなく停止することは充分可能であると考えられるが、一方右程度の速度であれば、車線変更しなくとも前記看板の手前で停止することは容易であり、被告今村においてバツクミラーで後方の乙車の動行に注意を払つて適切な措置を講じる余裕は充分あつたはずであるから、前記認定のとおり、A級ライセンスを有する運転経験豊富な被告今村が、後方約七五メートルの地点を時速七〇キロメートルを下らない高速度で進行して来ていた甲車に気づくことなく、車線変更のうえその進路である追越車線上に乙車を停止させる措置を講じたということは、いささか不自然であるものというべきである。右に併せて、前記距離関係および前掲乙六号証の一(甲第七七号証)記載のスリツプ痕の長さを前提とすると、甲車のいわゆる空走距離は約三〇メートルであるから、乙車の速度は、反応時間を一秒として時速約一一〇キロメートルあつたことになり(反応時間を〇・七秒とすると時速約一五〇キロメートルとなる。)、乙第六号証の七(甲第八三号証)、被告千栄子本人尋問の結果中の本件事故現場付近における甲車の速度についての供述記載あるいは供述部分(時速約七〇キロメートル)に合致しないこと、甲車の同乗車である証人三宅秀美の証言中には、同証人も乙車が現実に車線変更をするところ自体は確認していない旨の供述部分の存することおよび証人金住浩一の証言、被告今村本人尋問の結果を考慮すると、乙第六号証の二(甲第七八号証)、同号証の七(甲第八三号証)、被告千栄子本人尋問の結果中の前記供述記載あるいは供述部分および右に符合する証人三宅秀美の前記供述部分は、いずれもにわかにこれを措信することはできないものといわなければならない。

第二責任原因

一  運行供用者責任(自賠法三条)

被告義元が、甲車を所有し、自己のため運行の用に供していたことは、原告と被告義元間に争いがない。したがつて、被告義元は、後記免責の抗弁が認められないかぎり、自賠法三条により本件交通事故による原告の損害を賠償する責任がある。

二  不法行為責任(民法七〇九条)

1  被告千栄子

前記第一に認定の事実によると、被告千栄子は深夜本件事故現場付近を南進していたところ、このような場合自動車運転者としては、最高制限速度を遵守するはもちろん、前方を充分に注視して事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるにもかかわらず、被告千栄子はこれを怠り、漫然最高制限速度時速六〇キロメートルを超える時速七〇ないし一〇〇キロメートルの高速度で進行した過失により、自車の進行する車線(追越車線)上に、急制動の措置によることなく停止した乙車に気づくのが遅れ、前方に停止している同車のテールランプを発見して急制動の措置を取るも間に合わず、乙車に追突したものというべきであるから、被告千栄子に過失の存したことは明らかである。よつて、被告千栄子は、本件事故による原告の損害を賠償すべき責任がある。なお、被告千栄子に過失が存する以上、被告義元の免責の抗弁が理由のないことは明白である。

2  被告今村

被告今村本人尋問の結果中には、同被告が前方に看板を発見した地点で、後方をバツクミラーで確認するも、甲車は認められなかつた旨の供述部分が存するところ、はたして確認不充分のため発見できなかつたのか、あるいは現実に甲車との車間距離が視認不能なほど離れていたのか、必ずしも明確ではない。しかしながら、前記第一に認定の事実によると、被告今村は、深夜前記阪神高速道路安治川入口手前を走行中、前方右安治川入口の走行車線(東側車線)上に前記看板を発見し、乙車を追越車線(西側車線)上に停止させた場合には、南行車線(二車線)の通行を完全に塞いでしまう結果となり、しかも前記看板を発見した地点で後方に甲車を現認しえたかどうかはさておき、少くとも被告今村自身その運行状況につきかなり危険な車であると判断した甲車が後方から進行して来るであろうことは了知していたのであつてこのように後続車もかなりの高速度で進行して来ることが予側されるいわゆる自動車専用道路上に停止しようとする自動車運転者としては、とりあえず追越車線から車線変更して走行車線上に停止したうえで、右看板のそばに佇立していた係員に通行状況を確認する等の措置を講じ、あるいは追越車線上に停止するのであれば、後方からの車の接近に充分留意して適切な回避措置を講じる等して事故の発生を未然に防止すべき注意義務があつたにもかかわらず、被告今村はこれを怠り、漫然追越車線上に一時停止し、追突直前まで甲車の接近に全く気づかなかつた過失により、同車を乙車に追突させるに至つたものというべきである。よつて、被告今村は、本件事故による原告の損害を賠償すべき責任がある。

第三損害

一  受傷、治療経過等

1  成立に争いのない甲第一ないし第五号証(甲第二ないし第六号証)によれば、原告が本件事故により頸部、腰部捻挫、顔面打撲傷、右膝、右肘・胸部打撲傷の傷害を受けたことが認められる。さらに原告は、本件事故により上顎左側第二小臼歯・下顎左側第二小臼歯脱落、上頸左側第一小臼歯・第一大臼歯破折、下顎左側第一小臼歯・第一大臼歯破折、上顎右側中切歯破折の傷害を受けた旨主張しているところ、前掲甲第一ないし第五号証(甲第二ないし第六号証)の各診断書(小川病院、森本病院、鳥潟病院)には、右歯牙の脱落または破折に関する診断所見の記載がないこと、鳥潟病院の医師である証人小寺寿治の証言中には、本件事故による歯牙の損傷に関する原告の訴の有無につき記憶がない旨の供述部分が存することから考えると、右原告の主張には疑問の余地がないではないが、一方樋口貞次郎の証言により成立を認める甲第一八号証、証人深井清の証言により成立を認める乙第八号証、証人樋口貞次郎の証言および原告本人尋問の結果(第一回)によれば、原告は、事故後最初に受診した小川病院に到着した際、口腔内に歯牙の破片があり、口腔から出血していたことに気づいたこと、入院先の鳥潟病院には歯科がなく、原告としても頸部、腰部等の痛みが激しかつたため、右症状の治癒をまず第一に目指したこと、歯痛は入院当初はともかく、それほど激しいものではなく、全く痛まない時もあり、痛む時には同病院から鎮痛剤を投与されていたこと(乙第八号証には、原告が鳥潟病院において昭和四七年一一月三〇日から歯科治療を開始した旨の記載がある。)、原告は、昭和四九年三月三〇日樋口歯科医院に赴いて、はじめて歯科医の診察を受け、歯牙の脱落、破折および歯髄炎と診断されたこと、歯牙損傷の場合、治療をなすことなく放置しても必ずしも継続的歯痛を伴うわけではなく、当初の痛みが消失したあと一年ぐらい経過して歯髄炎等を起し、歯痛が再発することのありうることがそれぞれ認められ、右に併せて前記認定のとおり原告が本件事故により少くとも顔面打撲傷の傷害を受けていることが認められるのに対し、原告が本件事故以外に歯牙損傷の原因となるような事故等に遭遇したとの事情を窺わせるに足りる証拠はないことを考慮すると、結局のところ、原告は、本件事故により、原告主張のごとき歯牙の脱落、破折の傷害を受けたものと認めるのが相当である。

2  前掲甲第一ないし第五号証(甲第二ないし第六号証)、第一八号証、成立に争いのない甲第六ないし第八号証(甲第七ないし第九号証)、第一三号証(甲第七六号証)、第三八、第四二、第四九、第五〇、第五二号証、証人小寺寿治の証言により成立を認める甲第九号証(甲第一〇号証)、第一〇、一一号証、第一二号証(本件乙第一四号証の三に同じ。)、証人川崎雅菊の証言により成立を認める甲第二〇号証、第二一号証(本件乙第一四号証の四に同じ。)、原告本人尋問の結果(第一回)により成立を認める甲第一四ないし第一七号証、第二四号証の一ないし二〇、第二六号証、第三九号証の一ないし四、第四一号証、原告本人尋問の結果(第二回)により成立を認める甲第四三号証、第四四号証の二、第五一号証、証人小寺寿治、同樋口貞次郎、同川崎雅菊の各証言、原告本人尋問の結果(第一ないし第三回)および弁論の全趣旨を総合すれば、原告が、前記受傷により、請求原因3(一)(2)のとおり入通院したこと(ただし、入院日数は、鳥潟病院一九七日間、浜坂七釜温泉病院二〇四日間、実通院日数は、小川病院一日間、森本病院一日間、鳥潟病院四一日間、横出医院一日間、柔道整復師四四〇日間、樋口歯科医院五六日間、川崎歯科医院八三日間、水野医院二日間、宝珠堂整骨院四〇日間)、さらに原告が昭和五〇年八月三〇日から昭和五二年三月末ごろまでの間川崎歯科医院に、同年五月二一日から同年七月一四日ごろまでの間鳥潟病院にそれぞれ通院したこと、原告は、鳥潟病院での初診時、頸痛、右前胸部痛、顔面痛を訴え、第三、四頸椎、左側大後頭神経、第三腰椎等の各圧痛が存し、やがて頸椎全体が強直し、頸部の運動制限が顕著になり、右初診時の症状に加えて、第五、六頸椎、右側後頭神経、上腕神経叢、前斜角筋、第一腰椎、上臀神経、両躯幹筋等の圧痛が生じ、同病院に入院することを余儀なくされたこと、原告は、同病院での入院期間を通じ、諸種の検査に併せて、投薬、注射(血管拡張剤、ビタミン剤、鎮痛剤)、湿布、物理療法等の治療を施されたこと、原告は、鳥潟病院の医師小寺寿治(以下小寺ともいう。)の指示に基づき、浜坂七釜温泉病院に転院し、同病院においては、主として筋肉痛を除去するため、整形外科治療と共に温泉を利用しての運動療法が併用されたこと、原告は、樋口歯科医院での初診時、交通事故により歯牙が損傷したことを説明のうえ、食事の際の歯痛あるいは自発痛等を訴え、同病院においては、もつぱら歯髄炎に対する処置として、抜髄(神経の抜去)のうえ根管充填を施されたこと、川崎歯科医院においては、右根管治療を継続すると共に、脱落または破折した歯牙の補綴処理がなされ、上顎右側中切歯につき歯冠継続歯により、他の損傷歯牙につき架工義歯によりそれぞれ歯科補綴が加えられたが、衝撃による歯牙損傷のため、歯根の動揺、歯肉のゆるみ等の回復が思わしくなく、根管治療も手間どり、前記のとおり通院が長期化し、補綴処理を三回やり直したうえ、昭和五二年三月末ごろ、やつと歯科補綴が完了したこと、柔道整復師においては、東洋医学に基づく指圧、マツサージ等の整体術療法が施されたこと、本件受傷の後遺症として、頭痛、悪心、眩暈、疲労感、項痛、左上下肢のしびれおよび腰痛ならびに両側大後頭神経、左項部筋、左僧帽筋、左躯幹筋の圧痛等の症状が残存し(検査所見として、脳波に中程度の異常の存することが認められる。)、右症状は一応昭和五〇年四月二三日ごろ固定したこと(なお、原告には、歯牙損傷の治療継続中、咀しやくおよび言語機能に障害をきたしたことが認められるが、証人川崎雅菊の証言、原告本人尋問の結果(第三回)および弁論の全趣旨によれば、歯科補綴の完了によつて、右各障害は、ほぼ消失するに至つたものと認めるのが相当である。)、原告は、右症状固定後も前記のとおり治療を継続し、昭和五二年七月ごろには、右症状がかなり軽快するに至り、現在では、ほとんど通院していないことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

二  治療関係費

1  治療費 三〇七万六八二〇円

(一) 前掲甲第一三号証(甲第七六号証)、第一四ないし第一七号証、第二六、第三八、第四二、第四九、第五〇号証、証人樋口貞次郎の証言により成立を認める甲第一九号証および原告本人尋問の結果(第一、二回)によれば、原告は、鳥潟病院分として一二二万一七二〇円(ただし、昭和四八年一一月二四日から昭和五二年五月二〇日までに負担した治療費のうち、被告義元において支払つた一万六四五〇円を差し引いた残額)、横出医院分として一八〇〇円、樋口歯科医院分として二万三八〇〇円合計一二四万七三二〇円の治療費を負担し、同額相当の損害を破つたことが認められる。

(二) 証人川崎雅菊の証言により成立を認める甲第二二号証、成立に争いのない甲第五三号証および証人川崎雅菊の証言によれば、原告は、川崎歯科医院分として昭和五〇年四月九日九〇万一五〇〇円の治療費を負担したこと、右金額のうち九〇万円は歯冠継続歯および架工義歯による補綴処置費であること、継続歯および架工歯の材質にはメタルボンドポーセレン(金床陶材)が使用され、これは耐久力が強く、特に自然歯の色沢を有するが、高価であるため健康保険の対象外であること(健康保険の適用される材質を使用した場合には、外観上義歯であることが明瞭である。)がそれぞれ認められ、右認定に反する証拠はない。そして、原告は女性であり、しかも後記のとおりその職業がフアツシヨンモデルであつたことを考えると、当然のことながら容姿を端整に保持する必要の存することはやむをえないものであるというべく、原告が前記材質を使用して歯科補綴を施したことをもつて、必ずしも不相当な治療措置であるとみなすことはできないから、結局のところ、右治療費九〇万一五〇〇円は、本件事故と相当因果関係のある損害と認めるのが相当である。

(三) 前掲甲第二四号証の一ないし二〇、証人小寺寿治の証言により成立を認める甲第二五号証、証人小寺寿治の証言および原告本人尋問の結果によれば、原告は、柔道整復師分として一一七万四〇〇〇円の治療費を負担したこと、原告は、右整復師の林利彦方において整体術療法を受けたこと(このことは前記認定のとおりである。)、右整復師への通院は、鳥潟病院の医師である小寺が指示したものであることが認められ、以上の事実に前記認定の原告の傷害の部位、程度および治療経過等を併せ考慮すると、原告の負担した右治療費のうち後遺症状の固定した昭和五〇年四月二三日ごろまでに要した九二万八〇〇〇円は、本件事故と相当因果関係のある損害と認めるのが相当である。

(四) 前掲甲第三九号証の一ないし四、第四三、第五一号証によれば、原告は、宝珠堂整骨院分として八万二〇〇〇円、水野医院分として三六六〇円の治療費を負担したことが認められる。しかしながら一方、原告本人尋問の結果(第一回)によれば、同院への通院は、前記柔道整復師の場合と異なり、鳥潟病院の医師の指示に基づくものではないこと、その治療内容は必ずしも明確ではないこと(原告の右尋問結果中には、東洋医学とは別で、カイロプラクテイツクと呼ばれ、脊髄の矯正をはかるものである旨の供述部分が存するが、具体的治療方法は明らかでない。)宝珠堂整骨院の初診者は、治療の前提として、まず水野医院の放射線科においてレントゲン撮影を命ぜられること(したがつて、水野医院における治療費は、右レントゲン写真代である。)がそれぞれ認められ、右認定に反する証拠はない。そうすると、宝珠堂整骨院における治療は、医師の指示に基づくことなくなされたものであり、前記柔道整復師における整体術療法とは必ずしも同質のものとはみなしえず、したがつて、その治療効果についても疑念を抱かざるをえないところであり、他に右治療が適切な措置であつたことを窺わせるに足りる証拠を見い出すこともできないから、宝珠堂整骨院における治療費については、本件事故と相当因果関係はないものと認めるのが相当であり、したがつて同院の治療を前提とする水野医院における治療費(レントゲン写真代)もまた同様であるといわざるをえない。

2  入院雑費 一二万〇三〇〇円

原告が四〇一日間入院したことは、前記認定のとおりであり、経験則上、原告は、右入院期間中一日三〇〇円の割合による合計一二万〇三〇〇円の入院雑費を要したものと推認するのが相当であり、これは本件事故と相当因果関係のある損害と認められる。

3  入院付添費 二万五五二〇円

原告本人尋問の結果(第一回)により成立を認める甲第二七号証、証人安居八重子の証言および原告本人尋問の結果(第一回)によれば、原告は、昭和四八年二月二一日から同月二八日までの八日間、職業付添婦の付添を受け、合計二万五五二〇円の看護料等の支払を余儀なくされ、同額の損害を被つたことが認められる。

4  交通費 一一万六五八〇円

(1) 原告は、前記認定のとおり、浜坂温泉病院への転院を余儀なくされたところ、原告本人尋問の結果(第一回)および同尋問の結果により成立を認める甲第二八号証の一によれば、原告は、同病院における入退院のため、合計九一〇〇円の交通費(国鉄大阪駅と同浜坂駅間の往復旅客料金六三四〇円および自宅と大阪駅、浜坂駅と右病院間の各往復タクシー代二七六〇円)を負担し、同額の損害を被つたことが認められる(なお、原告は、国鉄大阪駅と同浜坂駅間の二人分の往復旅客料金を損害として求めているが、二人分の料金を必要としたことを認めるに足りる証拠はない。)。

(2) 原告の鳥潟病院、樋口歯科医院および川崎歯科医院への通院状況は前記認定のとおりであるが、原告本人尋問の結果(第一回)および弁論の全趣旨により成立を認める甲第二八号証の二ないし六、第二九、第四〇号証、原告本人尋問の結果(第二回)により成立を認める甲第四四号証の一、ないし三、原告本人尋問の結果(第一、二回)および弁論の全趣旨によれば、原告は、右各通院のため、その住居地(当初大阪市平野区平野野堂町六二五の六に居住、ついで同市住吉区長居西四丁目一一番地寺岡マンシヨン一一号に転居、さらに昭和五〇年夏ごろより同市平野区平野西町三丁目六番二二号に居住。)と同市住吉区苅田町一丁目二九の五所在の鳥潟病院、同市阿倍野区阪南町四丁目五番七号所在の樋口歯科医院、同市住吉区墨江西六の五四所在の川崎歯科医院との間をタクシーで往復したこと(ただし、片道だけの場合あり。)、その結果原告は、合計四八万四五二〇円の交通費(鳥潟病院分三一万七三七〇円、樋口歯科医院分四万四二四〇円、川崎歯科医院分一二万二九一〇円)を負担したことが認められるが、タクシー以外に交通機関がないためタクシーを利用せざるをえなかつたことの立証がなく、これに前記認定の原告の傷害の部位、程度および治療経過等を併せ考慮すると、原告の負担した右交通費のうち退後約六ケ月後である昭和四九年五月末日までの一〇万七四八〇円についてのみ、本件事故と相当因果関係のある損害と認めるのが相当である(なお、バス、電車等通常の交通機関による費用についての立証はない。)。

5  将来の歯科補綴処置費 七二万円

前掲甲第五三号証、証人川崎雅菊の証言により成立を認める甲第二三号証および証人川崎雅菊の証言によれば、原告の歯科、補綴に使用された継続歯および架工歯(材質はメタルボンドポーセレン)の耐用年数は約五年間であることが認められるところ、フアツシヨンモデルとしての稼働可能年齢は後記のとおり三五歳ごろまでであるから、原告がフアツシヨンモデルとして再起する可能性のある右年齢に達するまでの間においては、原告が将来、継続歯および架工歯の耐用年数経過に伴い、前記材質を使用して歯科補綴を施すことはやむをえないものというべきであるが、右期間以降の補綴処理については、健康保険の対象となる材質を使用した場合に要する補綴処置費の限度においてのみその相当性を認めるべきである。そして、原告が現在使用している材質による歯科補綴処置費が九〇万円で、原告がこれを昭和五〇年四月九日に支払つたことは前記認定のとおりであり、原告が三五歳に達するまでの間に必要とする継続歯および架工歯の交換回数は一回であることが明らかであるから、右一回分の歯科補綴処置費を、年別のホフマン式(単式)計算方法により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると、次の計算のとおり、七二万円となる(なお、その後の歯科補綴については、健康保険の対象となる材質を使用した場合に要する処置費用を算出するに足りる証拠がない。)。

九〇万×〇・八=七二万

三  逸失利益

1  休業損害 六八〇万四〇八〇円

原告本人尋問の結果(第一回)により成立を認める甲第三〇ないし第三四号証、第三六、第五五号証、証人橋本光隆の証言、同証言により成立を認める甲第三五号証、成立に争いがない甲第五四号証および原告本人尋問の結果(第一ないし第三回)によれば、原告は、昭和四二年高等学校卒業後、フアツシヨンモデルとしてOMCフアツシヨンモデルグループに所属し、昭和四六年からは右グループから独立してフリーとなり、昭和四七年一月からは由雅フアツシヨンマネキン紹介所に登録されたが、いわゆる専属ではなく、右紹介所による斡旋のほか他の業者からも直接仕事の注文を受けており、本件事故当時もフアツシヨンモデルとして稼働していたこと、原告は、右稼働により、昭和四七年一月から九月末日までの間、スタジオAクラブより五八万八八八三円、グンゼ株式会社より二三万三三二六円、スタジオPOPACより四六万一一〇四円、トシコ美容室より八一万六六四九円、スタジオブロツクより一一六万六六五四円、由雅フアツシヨンマネキン紹介所より七九万三三一四円、堀フオートスタジオより六七万二二〇九円の合計四七三万二一三九円のモデル料を得ていたこと、原告は、右稼働にあたり、一ケ月につきメーキヤツプ代に一ないし二万円、交通費に五万円、雑誌代に二ないし三万円、電話代に月収の一〇ないし一五パーセントの金員を支出し、したがつて原告が右モデル料を得るための必要経費は、その三〇パーセント程度であるとみなされること(右は、原告の昭和四七年度の確定申告の際の控除必要経費と合致する。)、原告は、本件事故当日から現在に至るまで休業していることをそれぞれ認めることができ、乙第一二、一三号証、第一五号証および証人岡田忠典の証言中右認定に沿わない部分は、証人橋本光隆の証言および原告本人尋問の結果(第一ないし第三回)に照らしにわかには採用し難く、他に前記認定を覆すに足りる証拠はない。もつとも、甲第三〇号証(売上張)の信用性については、昭和四六年度の確定申告がなされておらず、昭和四七年度の確定申告も本件事故後かなりの期間を経過してから(昭和四九年ごろ)なされていること(右は、前掲甲第五五号証、原告と被告義元、同千栄子間においては成立に争いがなく、原告と被告今村間においてはその方式、趣旨により真正な公文書と推定すべき乙第一〇号証の二および原告本人尋問の結果(第三回)により、認められる。)から考えると、疑問の余地がないわけではないが、右売上帳の記載内容の一部は、甲第三二号証(グンゼ株式会社名義の昭和四七年分報酬等支払調書)、甲第三六号証(由雅フアツシヨンマネキン紹介所名義の昭和四七年分報酬金証明書)の各記載、前掲乙第一二号証および証人岡田忠典の証言により、公認会計士保管の帳簿類に基づいて作成されたものと推定される甲第三三号証(スタジオPOPAC名義の報酬等支払調書)の記載、証人橋本光隆の証言により、その信用性が一応担保されている甲第三五号証(スタジオブロツクに勤務していた橋本光隆名義の報酬証明書)の記載といずれも合致しており、右事実に原告本人尋問の結果(第三回)中には、売上帳の記載は本件事故前にその都度、明細書に基づいて記入されたものである旨の供述部分が存することその他弁論の全趣旨を勘案すると、右売上帳の記載をいちがいに信用性のないものとして排斥することはできないものというべきである。

以上認定の事実に、フアツシヨンモデルの職務内容(かなりの体力が要求される。)、前記認定の原告の傷害の部位、程度および治療経過をも併せ考慮すると、右休業期間のうち、昭和四七年一〇月九日から浜坂七釜温泉病院の退院日である昭和四八年一一月一八日までの四〇六日間の休業はその一〇〇パーセント、同月一九日から症状固定日である昭和五〇年四月二三日までの五二一日間の休業は平均してその三〇パーセントの限度で原告にとりやむをえなかつたものというべきであり、したがつて、本件事故と相当因果関係の認められる原告の収入喪失額は、次の計算のとおり六八〇万四〇八〇円となる。

四七三万二一三九÷九×一二×(一-〇・三)×四〇六÷三六五=四九一万二七八一

四七三万二一三九÷九×一二×(一-〇・三)×五二一÷三六五×〇・三=一八九万一二九九

四九一万二七八一+一八九万一二九九=六八〇万四〇八〇

2  後遺障害による逸失利益 一六五万二九四二円

原告が昭和二三年一〇月八日生であることは当事者間に争いがなく、前記認定の受傷および後遺症の部位、程度によれば、原告は前記後遺障害のため昭和五〇年四月二四日ごろから四年間平均してその労働能力を一五パーセント喪失したものと認めるのが相当であるが(なお、歯科補綴が完了した昭和五二年三月末日ごろまでに存した阻しやく機能、言語機能の障害および右日時以降における歯科補綴の残存は、原告のフアツシヨンモデルとしての労働能力の喪失に寄与するという程のものではないものと考える。)、一方証人橋本光隆の証言および経験則によれば、フアツシヨンモデルとしての稼働可能年齢は、三五歳ごろまでで、平均的モデルの年齢は、二二、三歳から二五歳ごろまでであり、右年齢以降モデルとしてのピークは下降線をたどることが認められ、したがつて原告の逸失利益算定の根拠となる収入額は、前記収入の少くとも七〇パーセント程度とみなすべきであるから、原告の後遺障害による逸去利益を年別のホフマン式により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると、次の計算のとおり、一六五万二九四二円となる。

四七三万二一三九÷九×一二×(一-〇・三)×(一-〇・三)×〇・一五×三・五六四三=一六五万二九四二

四  慰藉料

前掲乙第六号証の六、証人金住浩一の証言および被告今村、原告(第一回)各本人尋問の結果を総合すれば、原告と被告今村、訴外金住は、本件事故以前からの知り会いであり、事故前日の昭和四七年一〇月八日夜八時ごろ、原告は、右両名と偶然道(大阪心斉橋の大丸百貨店前路上)で出会い、いつしよに喫茶店に入つて話などしたのち、被告今村に誘われて、当時居住していた自宅(前記のとおり大阪市平野区平野野堂町六二五の六)まで送つてもらうべく乙車に同乗したが、車の中で被告今村、前記金住より六甲山までジヤコビ二彗星を見に行こうという話が出され、原告も特に異議を唱えることなくこれに同調し、本件事故は、六甲山からの帰途発生したものであること、乙車の運転はすべて被告今村においてなされ、原告において乙車を運転する予定は全くなかつた(原告は運転免許を有していない。)ことが認められ、右に認定の原告が被告今村の運転する乙車に同乗するに至つた経緯、同乗の目的、その後の経過等に併せて、原告の受傷、後遺症の部位、程度、治療経過、原告の年齢、フアツシヨンモデルとしての再起の可能性(原告本人尋問の結果(第二回)によれば、原告は、フアツシヨンモデルとしての再起を現在ではほぼ断念していることが認められる。)、昭和四六年一二月に成立した婚約が、本件事故のため破談となつたことその他諸般の事情を考慮すると、原告が被告義元、同千栄子に対して請求しうる慰藉料額は二〇〇万円、被告今村に対して請求しうる慰藉料額は一六〇万円とするのが相当である。

なお、被告今村は、原告が同被告と共同の運行供用者であつた旨主張するが、原告は単なる同乗者であつて、これを同被告と共同の運行供用者とみなし難いことは、前記第三の四に認定した事実から明白であり、また被告今村は、原告がいわゆる無償同乗者であつたということができるから、原告が同被告に対し請求しうる損害総額に対する相当率の減額をなすべきである旨主張しているが、同じく前記第三の四に認定した原告が乙車に同乗するに至つた経緯および同乗後本件事故発生に至るまでの乙車の運行状況(原告が乙車を運転する予定すらなかつた。)等の事情から考えると、原告が被告今村に対し請求しうる損害賠償額の全費目にわたつてこれを減額するのを相当とするほどのものであつたとはみなし難く、原告が被告今村の好意により乙車に無償で同乗中本件事故に遭遇するに至つた事情は、公平の見地から前記のとおり、被告今村に対する慰藉料額の減額事由として考慮すれば足りるものというべきである。

第四損害の填補

原告が、被告義元、同千栄子から、治療費の内金として一五〇万円、休業損害の内金として二三九万円合計三八九万円の支払を受けたことは、当事者間に争いがない。なお、被告らが右三八九万円以外に損害の填補(任意弁済)したと主張する三五四万一二八〇円のうち、休業損害分一〇万円を除く金員が支払われたものであることは、当事者間に争いがないが、右が本訴請求外の費用であることは弁論の全趣旨より明らかであり、また右休業損害分一〇万円については、被告義元、同千栄子が、これを前記休業損害分二三九万円のほかに支払つたことを認めるに足りる証拠はない。

したがつて、原告の前記損害総額一四五一万六二四二円(ただし、被告今村に対しては一四一一万六二四二円)から右填補分三八九万円を差し引くと、原告が被告義元同千栄子に対し請求しうる残損害額は一〇六二万六二四二円、被告今村に対し請求しうる残損害額は一〇二二万六二四二円となる。

第五弁護士費用

本件事案の内容、審理経過、認容額等に照らすと、原告が被告らに対し本件事故と相当因果関係のある損害として請求しうる弁護士費用の額は、五〇万円とするのが相当である。

第六結論

よつて、被告義元、同千栄子は、原告に対し、一一一二万六二四二円およびうち弁護士費用を除く一〇六二万六二四二円に対する不法行為の日の翌日である昭和四七年一〇月一〇日から支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を、被告今村は、原告に対し一〇七二万六二四二円およびうち弁護士費用を除く一〇二二万六二四二円に対する前同日から支払ずみに至るまで前同割合による遅延損害金をそれぞれ支払う義務があり、原告の本訴請求は、右の限度で正当であるからこれを認容し、その余の請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 鈴木弘 窪田もとむ 内藤紘二)

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